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薄氷

冬星

 22M-RFT52(エレナ)の評価ですか?
 そうですね……。別に扱いに困っているわけではないんですけど、少しやりにくいというか……。
 いや、ネガティブな印象を抱いたりはしてないし、何なら印象としては好意的ですよ。
 他の実験体と比べても遥かに扱いやすいし。
 すぐに嫌がって拗ねたり反抗したりする18M-RFT34(マイ)とかと違って、多少不満そうでも指示に対して従順ではありますからね。
 同盟を組んだ実験体との衝突もあまり多くないです。
 でも、なんだろうな……。少し気になる点として、すごくプライドが高そうなのに、そういった雰囲気に反して自虐的なことを言い出すんですよ。
 可哀想な自分、というイメージとも違うのでなんとも表現しにくいですね。
 むしろ、「可哀想だね、よしよし」みたいな反応をしたら、彼女は怒るんじゃないですか?
 そういう子供みたいな雰囲気もないですから。
 彼女から直接聞いたわけじゃないし、これは飽くまでも予想ですけど、「あらゆる立場にはそれ相応の扱いがある」と思っていて、そういった価値観を前提とした上で「自身は嘲笑われて当然な立場にいる」みたいな認識なんだと思います。
 彼女、信頼していた人たちに裏切られたうえ、裏切った人たちは22M-RFT52(エレナ)たち一家を陥れる為に結託していたらしいじゃないですか。
 普通はそんなことがあったらショックを受けないほうがおかしいと思うし、それが丁度スランプでフィギュアスケーターとしての自信も欠いてた時期に起きたんなら、それくらい卑下したっておかしい話では無いと思いますよ。
 実験中に墓場を訪れた時「私も一度、死んだことがあります。……死ななかったんですけどね」と言って不敵な笑みを浮かべていたときは、ちょっと反応に困りましたけど……。
 さっきも言ったけど、憐れみを求めてそういう発言をしてるわけではないみたいです。
 「全てを失った自分が辛いからもう嘲るしかない」みたいな、彼女なりの自衛なのかもしれないですね。
 這い上がるためにはまず自分がどん底にいることを自覚しなきゃいけないし、ただ悲しむだけなんて彼女のプライドが許さなかったんだと思います。
 なにより、なにか辛いことがあった時に泣き寝入りをするのは簡単ですけど、それで事態が解決することもないですから。

 22M-RFT52(エレナ)のVF能力は氷や低温に関連するものです。
 だから、いわゆる「氷の女王」みたいな、そういうイメージ通りに彼女の態度は冷たい人なんじゃないかって思ってる人が多そうですけど、意外と実験中に思い出話をしている姿が見られるんですよ。
 まあ、いわゆる営業スマイルみたいなことはほとんどしないし、無愛想で冷たい態度という意味では何も間違ってはいないですけど……。
 もし彼女が満面の笑みを浮かべたりしたら、もちろん可愛いだろうなとは思いますけど、それ以上にちょっと心配になりますね。
 そういう、ポジティブな感情をしっかり表現する子じゃないし、どんな実験体と組んでいても自然と周りを笑顔にさせるような18M-RFT38(エマ)や19M-RFT39(Eleven)とかと一緒にいても無表情な子ですから。
 話が逸れてしまいました。 彼女の思い出話の内容でしたね。
 流石に名家の出身って感じで、思い出のスケールと言うか、レベルが違うような印象はあります。
 普通、ルミア島にある池を見て家を連想する実験体っていると思います? まあ、湖畔に住んでいた方とかならまだ理解出来ますけど……。
 彼女、池を訪れるとよく自宅にあったらしい池の話をし始めるんですよ。
 冬場は凍っていて、フィギュアスケートの練習ができたみたいです。
 家っていう括りの中にそんな大きさの池があるなんて普通考えられますか? 我々のような庶民の感覚からしたらとんでもないスケールですよ。
 家の敷地の中にあるってことは、敷地自体はもっともっと広いってことですからね。
 あとは……、印象深い話としては、森をうろついているとき「こんな場所に父親の別荘があった」という話をよくするんです。
 まあ、ちょっと富豪っぽい人だったら森の中に別荘があること自体は何もおかしな話ではないし、他の彼女の話を聞いていると別荘が複数あったなんて言われたって、今更驚かないですね。
 きっと大きな別荘だったんだと思います。
 あんな静かな森で過ごせるって思ったら、ちょっと羨ましくも思いますね。
 管理とか、生活の便利さとか、色々面倒事とかはあるでしょうけど、森の中で丁寧な生活みたいなのって憧れるじゃないですか。
 ただ、この話をする時ちょっと気になるのが、22M-RFT52(エレナ)は父親のことを「お父さん」と呼ぶんです。
 普通、ああいう名家とか名門とかそういう高貴だったり厳格そうなイメージがある人って、父親のことは「お父様」とかって呼ぶと思いませんか?
 なんていうか、スケール感とかそういう文脈からしたらアンバランスな雰囲気がするんです。
 だからなんか、意味があるような気がするっていうか。
 他にも、意外と色々なところで幼い頃にしていた遊びの話をしたりするんですよ。雪合戦の話とか、雪だるまの話とか。
 まあ、雪合戦の雪玉の中に石を入れようとするのはあんまり良い発想じゃないと思いますけど……。
 だって、当たったら痛そうじゃないですか。
 本人もそれはわかってるみたいで、冗談ですって添えてましたけど。
 ただ、見ての通りジョークとか言うような雰囲気の子じゃないですから、やっぱり反応に困りますね。
 えっと、つまり何が言いたいかというと、きっと彼女は家族ととても仲が良かったんじゃないかなって、そう思ったんです。
 ああいう厳格そうな雰囲気の中でもお父様やお母様のような呼び方をせず、それこそ自分ら庶民と同じような距離感でお父さんなんて呼んでるのを聞くと、どんなに格式張ったイメージがあるようなところでも、家族としてはとても仲睦まじかったんじゃないかなって気がするんですよ。
 あれくらいの雰囲気なら執事とかがいても何もおかしな印象はないですけど、多分そういう立場の人ともすごく仲が良かったんだと思いますよ。
 同世代の友人とかがいたかはわかりませんけど、彼女の近くにいた人物……ちょっと皮肉な話ですけど、それこそ個人コーチなんかは仲が良かったんじゃないですか?
 いずれにせよ、そういう細かい思い出話から家族との関係はすごく良好だったような印象が見受けられるんですよ。
 私は22M-RFT52(エレナ)の詳しい経歴まではアクセス権がないですから、本当にそうだったらいいなって思うくらいしかできないですけどね。
 まあ、だからこそ、父親の死というのはショックだったんだろうな、って思います。
 しかも、それが親しい人の裏切りによるものだったらなおのことですよ。
 そういった明るい思い出話ももう過去の話で、今はもう全てを失っている、って考えたら、なかなか酷な話です。
 だから、あの一件を経て彼女が復讐に取り憑かれたみたいになっていたことも、誰も彼女のことを批難なんてできないんじゃないですか。
 
 そういう背景があるから、22M-RFT52(エレナ)は裏切りというものを極度に恐れる傾向があります。
 他の研究員が書いた実験記録にも書いてあった話で18M-RFT36(ルク)に"掃除"されることを恐れて信頼関係が壊れてしまったということもあったし、一度「この人は自分を裏切るかも」という片鱗が見えてしまうと、彼女にとってはトラウマを刺激されてしまうんだと思います。
 義母と信頼していた個人コーチに裏切られたときも彼らはVF能力の覚醒で奇跡的に生還した彼女を見て再び消そうとしたらしいし、一度でも裏切った人と関係を補修できるとも思っていないんでしょうね。
 実験中の様子を見ても、何を考えているのかわからない14M-RFT13(アレックス)と一緒にいるときはいつもそわそわしているように伺えたし、いつだったか、17M-RFT32(レノックス)がその場に居合わせた実験体に過去について伺われて言葉を濁した様子を見たときは、豪快に笑っていた姿で作った安心できる認識を改めようと警戒心を顕にしている姿も見られました。
 17M-RFT32(レノックス)の過去に暗い影があることを、なにか察してしまったんでしょうね。
 とはいえ、17M-RFT32(レノックス)も隠すことで人を騙そうとしているわけではないから、誤解が解けたらうまくやれそうな気はしますけど。
 逆に、敵である相手に不意打ちすることすら嫌がるほどに正々堂々と勝負をすることを信条としている14M-RFT02(フィオラ)とはすごく相性が良さそうでした。
 彼女が22M-RFT52(エレナ)を庇護の対象として動こうとしたときは少し不満そうでしたけどね。
 多分、そういうのはプライドが許さなかったんだと思います。
 だからといって彼女たちの仲が悪いような印象はなくて、22M-RFT52(エレナ)が怯えたり気圧されることもなく終始円滑にコミュニケーションを取っていました。
 あと、意外にも関係性が良好だったのは15M-RFT18(マグヌス)ですね。 依然として彼は女性に対しての発言がひどかったんですけど。
 ただ、どんなきっかけかは忘れましたけど、22M-RFT52(エレナ)が裏切りについて話をした時、彼が不満そうに「裏切りだと? そんなものは軟弱な奴がやることだ!」と豪快に反論したんです。
 それを聞いた22M-RFT52(エレナ)は、表立って態度には出さないようにしていたみたいですけど、すごく安心していたように見えました。
 裏切られないことを保証されるのが効いたんでしょうね。
 他にあんまり15M-RFT18(マグヌス)の横暴な態度を好むような人もいないし、珍しい構図だとは思います。
 まあ、好んでいるかと言われると怪しいですけど……それくらいには裏切りというものを極度に恐れてるみたいです。
 ここじゃトラウマを抱えている人物なんて珍しい話ではないですけどね。
 でも、なにか自分がやらかしたわけでもないのに突然すべてを失うだなんて、トラウマにしたって質が悪いなって思います。
 少なくとも私が知る範囲では、彼女は何も悪くないですから。

 いずれにせよ、その裏切られた一件が起きるまでは本当に普通の……いや、普通って言葉を使うのも変な話ですけど、将来を嘱望された才能溢れるフィギュアスケーターだったと思います。
 いつも冷たそうに振る舞ってはいるけど、意味もなくひとに悪意を向けるような人物ではないし。
 まあ、ルミア島の廃墟を見た時の反応を伺うと、我々庶民とは住む世界が違ったんだろうなという印象はありますけどね。
 ありもしない自身の才能を信じ込んでセレブっぽく振る舞ってる14M-RFT07(ジェニー)なんかと違って、本物って感じがします。
 実験中の細かい所作を見てもエレガントというか、上品で落ち着きがあるような雰囲気だし、焦りなんかとは無縁って感じだし、あんな華やかな剣が似合うような人って、現代じゃそんなにいないですよ。
 うまく表現できないですけど、お姫様とか女王様とか、そういう高貴なイメージの言葉が何でも似合うような気がします。
 だから、ある意味この裏切りの一連の出来事がなければ私みたいな下っ端の研究員なんかとは話す機会すらなかったんだと思いますよ。
 そんな人とこんな実験なんて形で関わることになったと思うと、つくづく運に恵まれなかったのかなと可哀想な感じはしますね。
 私が彼女と関わりを持てるようになったのも……複雑な気持ちです。
 
 当たり前な話ですけど、氷というのは水が低い温度によって固形になったものじゃないですか。
 あ、私は科学の専門ではないので細かいニュアンスとかは察していただきたいんですけど。
 まあ要するに、氷の塊だったら割ってもまた凍らしたら氷の塊に戻ると思うし、形を問わないのであれば砕いても不可逆ってことはないと思います。
 でも、薄い氷の板だったら、それを叩き割った後元の形に戻すのって大変じゃないですか? また同じ型に収めて凍らせなきゃいけないし。
 でも、そういう復元の手間に反して、薄い氷の板を割るのは正直そこら辺を歩いている下校中の小学生に頼んだってできるようなことです。
 我々が取り扱ってるVFだとかそんなややこしい話をする前に、少し力を込めるだけで壊せると思います。
 そこをもっと力強く叩き割ろうとしたら破片が飛び散るし、粉々になった氷はどうせすぐ溶けるから、これを復元するのってすごく大変というか、無理だと思うんですよ。
 ここまでの話をまとめると、「氷の塊だったら叩き割っても大体復元できるけど、薄い氷の板を叩き割ったら復元は難しい」こんなところでしょうか。
 で、22M-RFT52(エレナ)の心っていうのはその後者、薄い氷の板だったと思うんです。
 何なら、そこに繊細な絵を彫ってあったと言ってもいいくらいの。
 それを、親しい人たちによる裏切りという事件が叩き割ってしまった。
 そんな印象がするんです。
 彼女のVF能力はさっきも書いた通り氷や低温についての能力ですけど、地域1つを大きなスケートリンクにしてしまうくらい強力なものじゃないですか。
 人一人氷漬けにするくらい、怒った彼女が本気を出したりしたら容易いことだと思います。
 足を凍らせて相手の動きを鈍らせたり、手を凍らせて武器を振りにくくしたり、やりようはいくらでもあると思いますけど、何にしても彼女のVFの強大さといったら、それこそ支配だってできると思うんです。
 まあ実際のところ、彼女を裏切った義母と個人コーチに対しての復讐は果たしたみたいですけど……。
 でも、実験を通して彼女の強大なVFで仲間を脅したりとか、そういった姿は見られないんです。
 彼女の冷たい態度とかに強力なVF能力まで加わったら恐れてコントロールされる人なんて幾らでもいると思いますけど、それをしないのって、結局は抑圧した結果支配者を裏切ろうとしてくるのが怖くて仕方ないんじゃないかなって思うんです。
 冒頭でも言った通り、彼女はどちらかと言うと「言われた通りにすれば良いのでしょう?」と言うような従順なタイプで、それも反抗のフラストレーションが裏切りを招くみたいな、深層的な恐怖が原動力になっているのかな、って。
 まあ、勝手な想像だし、彼女自身から語られた話ではないから確証もないですけどね。
 でも、もし本当にその通りだったら、すごく辛い話だと思います。
 さっき言った気もしますけど、トラウマを抱えた実験体はここでは珍しくないし、それ自体が特別って感じじゃないですけど、1つの出来事で人生が一変しちゃう体験って、普通は経験しないじゃないですか。
 しかも、悪い方向に変わるなんて。
 まあ、そういう細かいところまで含めて、ここじゃ珍しくないのかもしれないですけどね。
 17M-RFT29(アドリアナ)があんな狂人になってしまったのも、幼い頃の誘拐事件が原因と聞いたし。
 もしあんな裏切りがなかったら、今日もフィギュアスケートの練習をしていたか、輝かしい舞台で演じていたんでしょうね。
 それか、練習のし過ぎで脚を痛めて、療養をしつつ優雅なティータイムでも過ごしていたのかもしれません。
 でも、そんな輝かしい平和な彼女の人生は呆気なく叩き割られてしまいましたから。
 それも、粉々になるよう周到な準備をされて。
 はあ……彼女に人生をやり直せる機会はあるんでしょうか?
 まあ、やり直す機会があったとしても、さっきの例え話のように以前の彼女は戻ってこないと思いますけど。
 以前だったら、いわゆる「満更でもない」みたいな雰囲気で微笑む彼女だって見られたんじゃないかなって思うんです。
 そういう平和なシーンを全て奪われたって思ったら、裏切った人たちのことを許せないような気持ちにもなります。
 だって、彼女自身に原因や非があったわけじゃないでしょう?
 フィギュアスケートの競技で採点に八百長があったとか、そんな噂もないですし。
 彼女の家が恵まれていたから、妬みの対象になって奪われたってだけじゃないですか。
 ……こんなことを話していると、私が22M-RFT52(エレナ)のファンの一人みたいですね。
 まあ、あながち間違ってはいないと思います。
 彼女が本来のステージで演じている様子に興味がないと言ったら嘘になりますから。
 まあ、研究員と実験体の関係だから、私情を挟むのは良くないですけどね。
 もしもパラレルワールドみたいなものがあるんだとしたら、そこでは22M-RFT52(エレナ)という薄い氷が割れずに済んでいたらいいなと思います。
 それくらい期待したっていいじゃないですか。
 きっと、彼女自身は何も悪くなかったんですから。

 研究員S
 

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